平成12年10月21日 
  テーマ:思春期の心をさぐる〜少年事件・いじめ・ひきこもり〜     
  参 加 者:122名
  パネラー:佐藤美貴(和歌山家庭裁判所調査官)       
       上野和久(和歌山県立和歌山商業高等学校教諭)
       満田育子(読売新聞大阪本社編集局社会部記者)
  司  会:廣井亮一(和歌山大学教育学部助教授)
  指定発言 :松浦善満(和歌山大学教育学部付属教育実践研究指導センター長)    
       関根 剛(大分県立看護科学大学講師)    


今回のシンポジウムはコーディネーターとして和歌山大学教育学部助教授、廣井亮一先生を、和歌山家庭裁判所調査官の佐藤美貴さん、県立和歌山商業高等学校教諭の上野和久さん、読売新聞社会部記者の満田育子さんをパネラーとして迎え行われた。パネラーの3人はそれぞれの職場で出会う子どもたちの姿を報告し、思春期の子どもの心をさぐる幾つかの提言をして下さった。
 佐藤さんは「事件を起こす少年の心」について報告。和歌山での少年事件の変化とその特徴をあげて大阪で起こる少年事件との違いも指摘なさった。また、「少年たちは親や友達など自分の身近にいる人たちの気持ちは理解できるが、その他の人たち(自分と直接関わりを持たない人たち)の気持ちはくみ取りにくい。」と話された。提言としては第3者の気持ちを理解しにくい少年に対して以下について示唆なさった。即ち少年が起こした犯罪について攻めるのではなく、被害者である第3者を彼らの身近にいる人に例えて彼らに語りかける。その過程を通して少年が起こした犯罪に彼らが直視できるようにサポートしていくと話された。
 上野さんは学校現場からの視野に立って報告なさった。最近の子どもの特徴として「現代社会は情報が氾濫している。そして子どもはその情報の渦の中で生活して行かねばならない。そのため、子どもは時々自己防衛のために自分を外界の世界と遮断しなければ生きていけない。」と話された。また、学校・教育関係諸機関・行政との連携が大切だと提言された。
 満田さんは「取材現場から見た少年たち」について報告。最近のひきこもる若者については「ひきこもりをしている若者はひきこもることで遅ればせながらの思春期を経験している。」と紹介。また、親の期待に沿うように育った子どもがひきこもりやすいことを指摘し、親の価値観に左右されないように子どもの成長に親だけでなく周囲の大人が関わることが必要だと提言された。
パネルディスカッションの後、指定討論者である和歌山大学教育学部付属教育実践研究指導センター長、松浦喜満教授および大分県立看護科学大学講師、関根剛先生がそれぞれの学問的見知から少年事件・いじめ・ひきこもりについて話された。
 松浦教授は社会学で使われている言葉「状況による定義付け」を引用し、「子どもたちは家庭環境や社会状況に応じて変化する。」と話された。「突然キレる」・「パニクる」最近の子どもたちや「子どもの質が変化した」と言われている現象は、これらの状況による定義付けに当てはまるとし、また「子どもが充足感を感じられない社会にも問題がある。」と考察された。また関根先生は少年事件・いじめ・ひきこもりに共通する問題として「コミュニケーション・人との関わり」をあげ、話された。「子どもたちの間ではみんな一緒というレベルではコミュニケートできているが、差異を分かり合えるレベルでは出来ていない。このことがいじめや差別につながっている。」と分析し、更に「これらは子どもたちだけの問題とするのではなく、それをどのように変えていくのか、大人の問題でもある。」と提議された。


シンポジウム「子どもが語る不登校」

平成13年5月26日(土) 午後1時30分〜3時40分  
和歌山市あいあいセンター   参加者 56名  
パ ネ ラー:10代の不登校経験者4名
アドバイザー:桑原義登(和歌山県臨床心理士会会長)
司    会:横出加津彦(高校教師)

 今回のシンポジウムは二部構成で行われました。まず前半は横出さんにコーディネーター役
を務めて頂き、4人のパネラーに自己紹介を兼ねて不登校の経験について語ってもらいました。そして後半は臨床心理士の立場から不登校問題に対する取り組み方について桑原さんから専門的なお話を聞かせて頂きました。
ここで前半部分についてパネラーの発言を紹介したいと思います。パネラーの4人はそれぞれに不登校に至った経緯やその時にどう感じたのかについて話して下さいました。 高校から学校に行かなくなり通信制の学校に編入し直し、その後和歌山大学教育学部に進学した19歳のパネラー。また中学校から不登校になり通信制学校に行き直したけれど再び学校に行けなくなり退学し、今現在は籍は通信制学校に置いているが実際には学校に行っていない20歳のパネラー。小学校から中学校まで不登校でその後通信制高校を経て現在は短大生であるパネラーな
ど、皆さん不登校になった時期やその後の進路は様々です。横出さんから「不登校という言葉について、その使われ方をどう思いますか?自分の過去と照らし合わせて話してくれませんか?」と質問されるとパネラーは実体験に基づいて自分の意見を話して下さいました。例えば、あるパネラーは「自分は実際に学校に行けていないの
で『不登校』という言葉に対して何ら違和感は感じない。」と言い、また他のパネラーは「自分が不登校
になって初めてこの言葉を再認識した。」など。不登校という状態を頭では理解できるが心では
共感することが難しい大人たちにとって、彼らの意見は大変貴重だったと思います。次に後半部分について紹介したいと思います。後半は臨床現場からの視野で不登校について説明があり、加えて不登校問題に対する取り組みについても提言がありました。桑原さんは最近の社会情勢の中で留意したいこととして以下のことを挙げています。
「集団を知らない子どもたち」そして「今の学校には子どもたちが泣ける場所・泣ける相手がい
ない」。不登校になる原因は様々です。しかし氏が挙げた2点を留意することによって何故子どもは学校
に行かない・行けないのか、その原因の一端を知ることが出来たのではないでしょうか?また、氏は不登校の類型を紹介する中で、最近は「葛藤しない不登校のタイプが増加」と指摘しています。この発言も現代社会の変化に伴い家族関係や学校が変化し、教育病理として不登校が発生したことを指摘していると思われます。この教育病理としての不登校問題に取り組むために相談支援活動と連携の大切さを最後に述べられました。「不登校問題について相談機関の果たすべき役割が大きいことは言うまでも無く、今後は各相談機関間の連携と支援の進め方が重要
になってくる。」この不登校問題において相談機関に属していない一般市民がどのような役割を果たすことが出きるのか今後の課題でもある、そう感じたシンポジウムでした。



「学校・子どもの安全をどう守るそして開かれた学校は」

平成13年7月12日(木) 午後6時30分〜8時40分  
和歌山市あいあいセンター   参加者 28名  
パネラー:山下 晃一(和歌山大学教育学部専任講師)
     家本めぐみ(CAPわかやま準備会代表)
     田中 直子(子育てサークル のはらうた代表)
     山下 大輔(和歌山市議会議員)
司  会:松浦 善満(和歌山大学教育学部教授)

 6月8日に起こった大阪教育大学付属池田小学校の児童殺傷事件を受けて当初予定していた教育
トークの会の内容を変更して緊急シンポジウムを行うことになりました。「開かれた学校づくり」
が叫ばれる中このような事件が起こり、学校に子どもを通わせている保護者のみならず一般市民
も不安を感じています。今回の事件をどう位置付けるのか、そして学校の開放と安全についてど
う考えたらよいのか有識者を招き、それぞれの立場から提言して頂きました。
池田小学校で犠牲になった子ども達の冥福を祈り1分間の黙祷を参加者全員で行いシンポジウムは始まりました。
司会の松浦先生はまずシンポジウムを始めるに当たり大阪の事件についてコメントを寄せられま
した。「事件後、この事件について自分の意見を語ることが躊躇われていた状況の中
で、今回のサポートネットの取り組みは大変貴重です」。また、「海外の学校は門や塀が無く開
放されているのに比べて、日本の学校は敷居が高い」と海外と日本の学校を比較し「学校はもはや命すら保
証されない場所なのか。この事件がモラルパニックを引き起こしている。学校を開くことと安全
の確保は矛盾していないか?」と問題定義をなさいました。続いて4人のパネリストがそれぞれ
の活動と照らし合わせて今回の事件について話されました。
和歌山大学教育学部専任講師の山下先生は「開かれた学校」について「誰でもいつでも学校に入っ
てきていいと言うことではなく、学校内で困っている先生方を市民が微力ながら助ける為に介入
すると言う意味ではないか」と指摘されました。また、「アメリカでは「開かれた学校」ではなく
「reach out(外に手が届くと言う意味)」と言い、つまりは地域社会・市民とつながり
を持った学校として外に開いている」と説明。そして「学校を支えたいと言った市民の善意が入り
にくい学校の構造を地域とのつながりを持って変えてはどうか?」と提案されました。
CAPわかやま準備会代表の家本さんは「学校・地域・家庭がそれぞれ、子どもにとって安全なと
ころでなければならない。」とし、子どもの安全を守る為にどうすればよいのかCAPのプログラ
ムを具体的に紹介。(例えば、突然襲われた時の叫び方など)。また、「学校の先生方は学校内で
事件・問題が起きなければそれでいいという意識を持っているのではないか?」と学校側の意識にも言及されまし。子育てサークルのはらの歌代表の田中さんは日常的に学校に出入りし、授業を見学したり、先生の
お手伝いをしている事を話して下さいました。「敷居が高い」と言われている学校の中に入り、一
般市民として活動に参加できるそのポテンシャルを彼女の活動紹介の中で感じました。
和歌山市議会議員の山下議員は事件後、和歌山市行政の取り組みを紹介。特別予算を取って和歌山
市内の公立学校に警備員を配置したその経緯を話して下さいました。また、「警備員を配置するだけ
でなく、市長や市教委が市民に対して何かメッセージを発信していればこの事件を契機に地域と学
校がもっと繋がりを持てたのではないか?」と行政の対応の不十分さを指摘。その後、
福島県三春町の町を上げての教育改革を例に和歌山市における今後の教育改革プランについても希望を語って下さいました。
今回は緊急シンポジウムと言う事もあり、いつも以上に活発な意見が会場から寄せられました。参
加者の皆さんはご自身が住んでおられる地域の学校の取り組みをそれぞれ話して下さいました。地域や学校のよって、これほど対応が違うものかと感じる事もあり良い意見交換の場になった事と思います。


「池田小事件からみえてくるもの」
平成14年12月1日(土) 午後1時30分〜3時30分  
和歌山市あいあいセンター   参加者17名  
パネラー:柳生真澄(小学校教諭)
     片岡容子(保護者)
コーディネーター:船越 勝(和歌山大学教育学部助教授)

 今回のシンポジウムは、7月のシンポで話し合った「学校・子どもの安全と開かれた学校」
というテーマから深めて、「この事件からみえてきたものは何か、そして私たちに何ができる
のか」を話し合った。
 池田小事件について、コーディネーターが事件の経過を、大阪教育大学付属池田小学校の教
職員が保護者向けの説明会で使った報告書をもとに詳しく説明した。
 パネラーの柳生先生は、当時小学校ではどのようなことがあったのかを話された。教育委員
会からは、不審者が進入できる所をチェックする、学校に入ってきた人には声をかけるように
、教師に警備をするようにと指導があり、校長・教頭がしばらくは警備にあたった。また保護
者からは、正門は開けておくのか、職員室が2階にあるのは何とかならないかという意見が出さ
れた。その後、PTAが名札を付けたり警備員が配置されたりしたが、結局学校の中は変わって
いないと話された。
 またパネラーの片岡さんは、「助けて」と叫べない子どもたちがショックだったと切り出し
、阪神淡路大震災の時にも感じたが、今回も教師・保護者の危機管理意識のなさに不安を感じ
た。そして自分の感情を表現させるような教育が欠落しているのではないかとも話された。
 参加者からは、保護者の一人が、保護者の意識がもう薄れていっている現状を話された。ま
た別の保護者は安全面から、小学校は門を閉ざすことで不審者が入りやすくて子どもが逃げに
くい構造だとの指摘をされ、また四箇郷小学校での教師全員が笛をもっているという試みを話
された。
 学校での教育の中身では、子どもが管理されているあるいは「指示待ち」の状態である。こ
れがこの池田小事件でも見られたのではないかという意見があった。
 保護者・教師側の問題点として、子育ての不安から親自身もマニュアル化されているし、教
師もマニュアル化されている。このマニュアル化が「生きる力」を奪ってはいないかと指摘し
た。
 一方、今回の「助けて」と叫ばず「大教大付属の何々です」と言った事は別に悪いことでは
ない、あるいはそのことを「管理された教育」と結びつけるのは早急過ぎるのではないかとい
う指摘もあった。
 以上の、事件から見えた問題点のあと、これからどうするかに話は移っていった。
 次の事件を起こさない、あるいは被害者も加害者も出さないためには、親が子どもの感情を
認め受け入れて育てること、親子がどう向き合うかという、親子での関わり合いの意見や、地
域の力が大切であり、そのためには教師が教師同士あるいは子ども・保護者・地域の人との壁
を取り除くことが必要という教師に対する意見や、地域の中で大人が色々な情報を得たり学べ
たりする所が必要、また子ども自身が気持ちを自然に出せるような場を提供する社会作りが大
切という意見があった。子どもたちのための良い学校づくりには、不安をあおるのではなく、
公立学校の良い取り組みを紹介することも大切ではないかという意見も出された。
最後にコーディネーターが、安心とは勝ち取っていくものか、与えられる物なのかと投げかけ、
色々な人が安心して参加できるような空間として、もう一度学校を作り直して行く中で、本当
の学校が生まれるのではないかとまとめられた。
今回は前回からさらに深めて、「生きる力を育てる教育とは何か」そして「私たちは何ができ
るか」と違った角度からも有意義な話し合いができました。


「公立小学校に期待すること〜総合的な学習・基礎学力
    など新しい学校教育について語り合おう〜」

平成14年2月2日(土) 午後1時〜3時  
和歌山市市立有功東小学校ランチルーム   参加者55名  
パネラー:塩塚 弘樹(大学生)
     岡本 悠子(保護者)
     和佐 伊都美(保護者)
     片桐 清司(和歌山市立有功東小学校校長)
コーディネーター:松浦 善満(和歌山大学教育学部教授)
 
「みなさん、小学校の授業を見学しませんか?」和歌山市立有功東小学校の呼びかけで30人近
くの方々が小学校の授業風景を見学させてもらい、約60人の方の参加で、テーマ「公立小学校
への期待〜総合的な学習・基礎学力など新しい学校教育について語り合おう〜」のシンポジウ
ムをした。今回の取り組みは「小学校での授業を一般市民の方が見学する。そして、一般の方
と学校が一緒になって議論をする、新しい形態である」(松浦)ため、教師間で行われる専門
的な論議ではなく、それとはまた違った側面からの議論が展開された。
シンポジウムは、まず、見学した授業に対する率直な感想をだしあい、その中から、「今日の
授業に関して」「学校週五日制の導入、総合的な学習の時間の導入にともなう学力問題」「公
立学校が持つ役割」の三つのテーマで議論が進められた。

今日の授業に関して
【2時間目・2年1組「生活科」 授業者・福田】

このクラスでは生活科で年間を通して異世代交流の取り組みが行われ、これまでに近隣施設に
入所する「ご年配の方々」や、市立和歌山商業高校(以下、市和商)に通う「高校生」との交
流が実施されている。ご年配の方々との交流では、どんな事をしたら、喜んでもらえるかを話
し合い、歌、お手紙、肩たたき、介助等の企画で二度取り組み、高校生との交流では、高校生
からパソコンを教わる、「市和商デパート」
への参加・取材、そして、市和商生徒を招いて
の「有功東小デパート」の実施を行った。今日の授業は、異世代交流の今年度三度目になる取
り組み「幼稚園児」との交流を企画するものだった。
教室の前の机に座った児童が会議司会をつとめ、「幼稚園の子との交流は、何をしますか」と
意見を求めた。意見を持つ児童から次々と手が挙がり、司会は一人一人を指名していく。「は
い。〜さん」「私は、パソコンを教えてあげたらいいと思います。」「それはダメだ。こわし
たら大変!」「有功東小デパートをまたしようよ」「それは時間が無いよ」。今までの交流が
年上だったのに対し、今度は年下。つまり、お世話をしないといけない。児童たちは議論を白
熱させ、企画に取り組んだ。
シンポジウムでは、2年1組の児童の活発な発言に驚きの声が出された。ある父親から「どの
ようにしたら、あのように活発に意見の交流ができるようになるのか」という質問が、高校に
勤める教師からは「まるでホームルーム、さらには休憩時間のようでゴチャゴチャしていたと
いう感じをうけた。年齢的にそれは仕方がないのか。」等の指摘がなされた。また、大学生か
らも「私は、あんなに発言できた経験が無い」という実体験と照らし合わせた発言が見られ、
議論を活発にした。
授業者の福田氏は、授業の進め方や指導方法などについて次のように述べた。「以前は、本当
に大変なクラスで議論もなかなかうまく進みませんでした。今でも、議論の中で泣いたりすね
たりすることがあります。しかし、司会や書記などを児童に任せると、始めは全く下手でも少
しずつ上手になっていきます。その過程では試行錯誤と、児童同士の教えあいの場面がありみ
るみるうちに問題解決していくのです。『子どもの可能性』に任せた指導を行えばこそ、子ど
もたちはその可能性を発揮します。」

【3時間目・6年2組「国語科」 授業者・川崎】
この日の授業は、教材「海の命」(作・立松和平)のクライマックス。主人公が、巨大なクエ
を目の前に捕ろうか捕るまいか葛藤し、捕らないことを決断する場面である。
児童たちはまず今日の単元を朗読、この場面で印象に残ったところを発言していった。「岩の
ような魚」「興奮しながら、太一(主人公)は冷静だった」。一人が指名されると、発言の後
に次の児童を指名する「相互指名」の技法を用いて、次々と意見が出されていく。教師は、そ
の意見を黒板にテーマわけをしながら板書していき、読み取りの不十分なところ、更に議論を
進めたいテーマを提起していき、クラスのみんなで物語の理解を深めていった。

シンポジウムでは、「授業の前段階での準備学習」について注目した発言、系統的な学習だっ
たと評価する発言など、授業法に関する発言が見られ「教師の専門性」についても議論された。
授業者の川崎氏は、「授業では話し合いを重視し、みんなでつくりあげていく事を大切にして
います。」と授業法を紹介し、教材の難しさと教材理解の過程では児童との議論も起こる実態
を紹介、「みんなで議論しあい理解を深めることは、児童同士のお互いの理解にもつながる」
と発言した。
この授業は特に、系統的な学びによる物語を読む学問的な楽しさを実感できるもので、次のテ
ーマである学力問題・学校の役割の議論につながっていった。

学校週五日制の導入、総合的な学習の時間の導入にともなう学力問題
ここでは、最近、学校教育の問題として取り沙汰されている「学力低下」に関する問題、学校
週五日制の導入・総合的な学習の時間の導入にともなう「授業時間数の減少」と「基礎学力」
の問題について議論された。
母親パネラーの両氏から「生活科などの取り組みで、子どもたちはいい経験をさせてもらって
いる」という意見がだされ、また他の母親から「しかし、学校では学力の基礎・基本などを統
一してしっかりと教えてもらいたい」と発言があがった。それをうけパネラー塩塚氏は学習塾
での講師経験をもとに発言、「学校五日制で少なくなった時間を補うのは週一回程度の授業し
か行わない塾では不可能である。また、塾では教えられることには限界があり、『設問を解く』
技術は教えられても、『学ぶ姿勢』『学問への興味』など『学びの土台』を養うことはできな
い。」と指摘し、学校に期待するものを明確にした。
会場からは、「総合学習と基礎学力、どちらに比重を置けばいいのかわからない」「総合的な
学習の時間に対し、教師はどう考えているのか。その思いを知りたい。」などの不安な気持ち
を表す発言がされ、それに対しパネラーの学校長・片桐氏は学校の公開責任にふれ、今後どの
学校も地域に開けていくことが大切だと語った。また、総合的な学習の時間の重要性を、子ど
もの実態に即した授業で問題の自己解決能力を最大限に発揮発展させることができるとし、ま
た、総合的な学習の時間は「子ども理解などさまざまな力の結集で成り立つ時間であり、教師
が鍛えられる」と述べた。

公立学校が持つ役割
前出の議論をうけ、「総合的な学習の時間の導入や、学校週五日制など、いま学校は考えなけ
ればならない時代に入っている」とコーディネーターの松浦氏が提起、公立学校の現状を見据
えて創っていかなければならない時代になったと指摘した。ここで、きのくに子どもの村学園
の堀氏が学園での実践を紹介し、「総合的な学習の時間」による体験学習の重要性を指摘し、
最後に松浦氏が「私立の実践や市民の実践などいろいろな声に耳を傾けながら、公立学校の意
義と役割をふまえ、学校の方向性を決めなければならないときにある」と指摘した。

私の感想
今日のシンポジウムの中で、大学生パネラー塩塚氏が今日の見学を受けてこうレポートした。
「率直な感想は、『ほっとした』ということです。」塩塚氏は、その感想をこう解説する。
「メディアは、子ども達の『荒れ』や『学級崩壊』が大きく取りあげ、私はいったいどういう
ものかとどきどきしながら参加した。しかし実際はとんでもない、子どもたちは元気で不安も
吹き飛ばされた」。また、この企画を主催した有功東小学校長・片桐氏は、「最近の教育論争
の多くは、『学校は変わった。ダメになった。子どもは変わった。問題を抱えている。親はダ
メだ。教師はダメだ』などの負の観念をもとにして、『だから、どうしようもない学校に協力
してあげなければならないのだ』として、共同を組もうとしてくる。こんな姿勢ではとうてい
相互理解などできず、共同にはとうていたどり着かない」と企画への思いを語った。
今回の企画を通して、私は最近大きく繰り広げられている教育論争について「教育論争は、そ
の足場を見失っているのではないだろうか」と感じた。「変わらないと。変わらないと!」ば
かりが先行し、「いったい何がいけないのか」「昔と何が変化したのか」が全く分析、解明さ
れないまま議論されてはないだろうか。「変化」は、何か「いけないこと」があるから求める
のであって、ただ変わればいいというものではない。教育論争が一定の終着点に向かいつつあ
るように見える今、このシンポジウムで確認した「学校の実態」「子どもの実態」にたちかえ
って、再び吟味しそして実践へといかさなければならないのではないだろうか。
(文責 山林哲)
 
市立商業高校の取り組みで、仕入・店舗設営・販売・決算・PR等全てを生徒が取り仕切る
「商業教育の実習活動」を目的とした行事。地域にもお馴染みである「市和商デパート」は、
2001年度実施で第25回を数えた。
学校法人「きのくに子どもの村学園」和歌山県橋本市にあるこの学校では、体験学習などを
ふんだんに取り入れたカリキュラムが組まれている。1998年10月当会にて見学。参考文献:堀
真一郎著『きのくに子どもの村−私たちの小学校づくり−』ブロンズ新社,1994等



Copyright (c) 2000 by kinokuni . All Rights Reserved.